建物の陰や道路の割れ目に生えている雑草は、一見するとたくましく生きているように感じます。
しかし、人の生活に入り込むために雑草は姿や形を変えており、実は過酷とも思える環境は雑草にとって心地よい環境なのです。
Michikusaとして活動しているみちくささんは、生きていくために多様な姿に進化した雑草の魅力を伝える活動を行っています。
雑草ならではの素朴な美しさを伝えるために、季節の雑草を使ったブーケやリースを制作するワークショップを開催。また、雑草を美味しく食べるためのレシピを著書「道草を食む(はむ)」にまとめています。
雑草の魅力を熟知したみちくささんから、雑草の楽しみ方を教えてもらいましょう。
Michikusaでは、雑草を使ったブーケ、リースなどを販売しています。
河川敷などで収集してきた様々な種類の雑草を、みちくささんがアレンジ。葉だけでなく実、花など、それぞれの雑草の特徴を生かして、素朴な美しさを感じられる作品に仕上げています。
みちくささんが手掛けた作品は、マルシェイベントや百貨店でのポップアップストアで購入できます。
Michikusaが主催するワークショップでは、ブーケやリースの製作はもちろん、雑草を観察しながら街を歩く観察会や雑草を食べるイベントを開催してきました。
他にも、音声配信サービスPodcastでは雑草の味を生かした料理を配信。多様な種類の雑草が持つ味を生かしたレシピを模索しています。
見た目だけでなく、味覚でも雑草を楽しみ尽くすのがMichikusaの活動です。
過去に開催した代表的な観察会は、岡山市北区の奉還町商店街や備前市日生にある頭島(かしらじま)でおこなわれました。
奉還町で開催した観察会では、ビルの陰やコンクリートの隙間に生えている雑草に注目し、参加者たちに「なぜ、そこで生きているのか?」を伝えました。
例えば、雑草は決して無理をしてコンクリートの隙間を住処にしているのではありません。
コンクリートの隙間は、実は他の植物に遮られることなく日光を集められる絶好の場所。さらに、人に踏まれる環境だからこそ靴の裏側に付着することができ、人の移動を利用して種子を離れた場所まで届けられます。
一見すると過酷とも感じられるコンクリートの隙間も、雑草にとっては心地よい環境なのです。
頭島での観察会では、海辺の植物の特徴について紹介しました。
基本的に植物は海水に弱いため、海辺には海水への対策を講じた植物が生息しています。
例えば、強い日差しや海水に耐えるために葉の表面が油膜で覆われていたり、水分を蓄えるために厚みのある葉を有していたりと、種(しゅ)も属も異なる植物であるにもかかわらず共通する特徴を備えています。
街中や海辺などの様々な環境で、雑草の生存戦略に由来する個性を感じ取れるのが雑草観察会の醍醐味です。
雑草を食べるワークショップでは、雑草を使った餃子や春の七草粥を食べました。
餃子を食べるイベントでは、みちくさんはセイタカアワダチソウの香りを利用した餃子の具を提案しています。
セイタカアワダチソウは、キク科の苦味の強い雑草。湯がいたのちに、長時間水にさらしたとしても取れないほどの苦味がある一方で、清涼感のある香りも持っています。
香味野菜としてセイタカアワダチソウを利用し、ひき肉と混ぜて具として仕上げました。
七草粥を食べるイベントでは、参加者らと草むらを散策して七草を探すところから始めました。
食べられる雑草や、逆に食べられない雑草をみちくささんが解説。イベント中に集めてきた雑草を調理し、どのような味がするのかを楽しみました。
みちくささんが調理方法を考えるとき、まず雑草を単体で食べることから始めます。
生で食べるのはもちろん、茹でることでアク抜きをして味を確認。その後、どのような料理に合うかを考え、実際に調理します。
試行錯誤の結果、ときには雑草とは思えない味わいを持つ料理を生み出すこともあるそうです。
野菜に劣らない味を持つ雑草に出会ったときには、驚きとともに嬉しさが込み上げてくるとみちくささんは話しています。
みちくささんが考案したレシピは、Podcast内の「道草を食む 〜雑草を暮らしに活かすRadio〜」にて配信しています。
季節の雑草をひとつ取り上げ、前半では植物の特徴について紹介し、後半ではレシピを解説。色や形の特徴、独特な生態について説明したのちに、レシピを伝えています。
また、雑草を活用したレシピは、著書「道草を食む」にもまとめられています。
雑草の定義は学者によって諸説あり、明確に定義することは難しいとされています。
Michikusaの活動で対象としている雑草は「人の生活圏に近いところで生えてくる植物」です
山など人の生活圏から離れた場所に生息している植物は、みちくささんの興味からは少し外れています。
人の生活圏で住処にする雑草に対して、悪い印象を抱いている人は多いでしょう。
Michikusaの活動の根底にあるのは、悪い印象を覆したいという想い。そのため、雑草を使った作品でも料理でも、見た目にはかなり気を遣っています。
雑草を使った料理を作るときは、雑草とは思えないぐらいの美しい見た目に仕上げてきました。
雑草を食べようとするとき、ありのままの雑草を提供したのでは受け付けない人が多くいるはずです。雑草とは思えないぐらいの美しい見た目を持つからこそ、雑草を進んで口に運ぼうとする気持ちが湧いてきます。
そして、ときには野菜を超える味を持つ雑草もいます。
雑草が食べられるという意外性を伝えることではなく、雑草が美味しいという良い印象にまで覆したいというのがみちくささんの目標です。
Michikusaの活動は、雑草そのものを題材にして楽しむことを目的としています。
「地球環境のために植物への理解を深める」や「健康のために雑草を食事に取り入れる」といった社会的な正義や個人の利益を動機にしていないことは、Michikusaの特徴です。
「見る、聞く、嗅ぐ、触る、味わう」を通じて雑草を、純粋に楽しむことがMichikusaの活動。身近な存在である雑草は、実はとんでもなく楽しいものだということを五感を通じて伝えています。
今回の公開インタビューでは、みちくささんが考案した料理を来場者とともに味わいました。
みちくささんが振る舞ってくれた料理は以下です。
クラッカーの上にクリームチーズ、生ハムを置き、その上にたんぽぽのジャムとたんぽぽの葉を載せた料理です。
たんぽぽのジャムは、ベルギーの南西部にある小さな街デュルビュイの名産品。たんぽぽの花をレモンとオレンジと一緒に1時間ほど煮詰めてジャムにしています。
たんぽぽのジャムの味は、はちみつの甘さを少し控えめにしたような印象。そして、たんぽぽの葉にはわずかな苦味がありました。
北海道から九州まで、日本の多くの地域で生息しているカキドオシ。多くの人が必ず目にしている雑草です。
シソ科であるカキドオシは、バジルのような独特の香りと味があります。
トマトに添えられることで、ワインのおつまみとして楽しめる味わいになりました。
秋になると至る所で目にするすすきも、実は口にすることができる雑草です。
すすきの葉のフチはノコギリのようなガラス質のトゲを持っており、少し触れただけでも切創の危険がある厄介な存在。しかし、お茶として楽しむことができます。
すすき茶には、ほうじ茶や玄米茶のような香ばしさがあり、かすかな甘みがありました。誰もが楽しめるさっぱりとして味わいです。
みちくささんが、植物に興味を持ったのは幼少期のとき。近所に住む植物に詳しいおばちゃんと散歩しながら、道端に生える野草について教わっていました。
「これはなに?」とみちくささんが質問すると、ほぼすべてに対して答えが返ってくるような人でした。
みちくささんが植物のなかでも特に雑草に興味を持った理由は、雑草だけはどれだけ抜いても怒られなかったからです。
幼い子どもは興味のあるものを、どうしても触りたくなります。植物に興味のあったみちくささんは、花壇に生えているパンジーを引っこ抜いたとき、園長先生に激怒されました。
しかし、雑草だけはどれだけ抜いても怒られません。雑草という植物は注意を受けないということを知ったみちくささんは、次第に雑草に対しての興味を強めていったのです。
みちくささんが植物について学んだのは、植物に詳しいおばちゃんからだけではありません。
父親の転勤に伴い引越しをしなくてはならなかったみちくささんは、そのおばちゃんと会えなくなります。
その後は、知らない雑草に出会うたびに学校の図書室に通い、図鑑を開いては対象の雑草について調べていました。
さらに、図鑑からだけでなく、見た目の特徴を観察し、匂いや味も確認します。小学生のときから、雑草に対する知識を蓄積していったのです。
みちくささんの雑草に対する興味は成人した以降も衰えることはなく、今日のMichikusaの活動に至りました。
Michikusaの活動が始まった背景には、SIRUHAの藤本進司(ふじもと しんじ)さんの存在があります。
自分の事業を始めたいと考えていたみちくささんにとって、20代という年齢で独自のブランドを立ち上げている藤本さんは刺激的な存在でした。
しかし、どのような事業を始めればよいのか具体的なアイデアが思い浮かばずに、悶々とする日々が続きます。
刺繍や裁縫といったものづくりにも興味があったみちくささんでしたが、これらは長続きしませんでした。
行き詰まりを感じたみちくささんは、才能の定義について考え始めます。
才能とは自分が無意識にやってしまう習慣。自分にとっては容易くできることでも、人から見たら努力しているように見える行動を才能と捉え直してみました。
そこで自分の才能として見つけたのが、幼少期から抱いていた雑草への強い関心。気がつけば雑草について調べていたり、雑草を見ながら数時間も散歩したりしてしまうのは、他の人にはできない才能だと見直すことができたのです。
その気づきを得てからは、手始めにできることとして雑草を使ったブーケやリースを製作し、SNSでの発信を始めました。
そして、雑草を使った料理にも挑戦。みちくささんは雑草の調理方法を考えることに、誰も知らない雑草の世界を探検しているような感覚が得られました。
次第にレシピを考えることに夢中になっていき、最終的に本を書き上げるに至ったのです。
雑草に関する知識は、多くの人にとって知らなくていいことです。
しかし、雑草に関する知識を持って外を歩いてみると、見える光景に変化が起こります。
草むらを構成する雑草でも、コンクリートの隙間に生えている雑草でも、あらゆる雑草の個性を理解しながら日常の景色を眺めると、天然の博物館にいるような感覚になれます。
知らなくてもいい知識であるにもかかわらず、楽しいと思える時間が増えたのです。
雑草の知識は生きるために必須ではないけど、膨大な量の雑草の知識がみちくささんの人生を豊かにしました。
「道草を食う」とは、「目的と異なることに対して時間を費やすこと」を表す慣用表現。効率や経済価値を優先する現代社会において、みちくささんが行ってきた雑草に対する探求活動は、道草を食うような逆説的な行動です。
実は、人が幸せになるためには、道草を食うことにあるのかもしれません。
「雑草と向き合っている人間でも楽しい時間を過ごせます。よかったら一緒に雑草についての理解を深めませんか?」と、みちくささんは人生を楽しくする方法を提案してくれました。