2024年4月21日の公開インタビューでは、日本画家「安沢有里」として活躍する木村有里(きむら ゆり)さんに登壇いただきました。
日本画の制作を通じ、画家として技術を高めるだけでなく、絵画教室や絵画の販売を行い、日本画の魅力を多くの人に伝える活動を続けています。
公開インタビューでは、日本画や画家の活動、そして日本画家として活躍するまでの経緯をお聞きしました。
木村さんとの対談を通じて、奥深い日本画の世界に踏み込みます。
日本画とはどのようなものなのでしょうか?
日本画と聞くと、多くの人は屏風(びょうぶ)や襖絵(ふすまえ)に描かれた白黒の絵を思い浮かべると思います。
古くから日本に伝わる描画技法で描かれた絵画を日本画と呼び、特に胡粉や岩絵具といった伝統的な顔料を使用していることに特徴があります。
西洋画との分かりやすい違いは、見た目の印象。西洋画を代表する油絵は光沢の強いものが多く、鮮やかな印象を受けます。
一方で、日本画は光を反射せず、吸収するものが多いので淡い印象を受けます。西洋画と比較して、落ち着いた雰囲気を持つことが日本画の特徴です。
日本画家としてどのような活動をしているのでしょうか?
日本画の振興と描画技術の継承を行っている日本美術院という組織の一員として活動しています。
日本美術院を分かりやすく表現すると、会員同士で切磋琢磨して日本画の描画技術を極める場所です。
例えば、毎年、春と夏に描画技術を審査される研究会に作品を出品しています。
研究会に向けた作品では、構成や色彩、作品のテーマなどの評価事項があり、研究会から意見をもらいながら画家としての技量を高めています。
ネットショップでは、どのような絵を販売されているのでしょうか?
私が描きたいと感じたものを描いています。
日本美術院の研究会では説明できる絵を求められますが、ネットショップで提供している絵は感情を表現した絵画です。
例えば、偶然できた絵具の色を使って、気持ちの向かうままに描くこともあります。
特に、題材として描いているものは、水面、空、風などの流れや時間を感じるものです。
いつから絵を描いているのでしょうか?
画家として活躍している人たちにはよくあることですが、小学校に入学する以前から絵を描いていました。
本格的に始めたのは、小学校4年生のとき。親に連れられて、近所の絵画教室に通い始めます。年配の女性の先生が運営している油絵の教室でした。
毎週、インコ、ワタリガニ、人物を代わるがわる描かされていました。私が描きたいものではなかったので、実はその教室が好きではなかったんです。
描いていて楽しかったのは、一緒に通っていた友達のさえちゃん。お互いに人物画を描き合っていた時間は、いまでも思い出として心に残っています。
絵画教室はあまり好きではなかったものの、さえちゃんと一緒に通い続けました。
あまり好きではなかったのにもかかわらず、6年間も通い続けたのには理由があるのでしょうか?
中学に入学したのちに、剣道部で活躍していた姉の影響を受けて、私も剣道部に入部します。しかし、剣道部の練習はかなり厳しく、スパルタという言葉を再現したような環境でした。
どのように生き延びるかを考えたときに、毎週土曜日は絵画教室を理由に練習を休んでいたんです。
実は、さえちゃんも剣道部に所属していました。厳しい部活動を生き抜いた戦友です。
さえちゃんがいたから、部活も絵画教室も続けることができました。
日本画と出会ったのはいつなのでしょうか?
日本画の魅力を強く感じ取ったのは、高校生のときに訪れた京都の美術館でした。
戦後まもないときに活躍した日本画家 秋野不矩(あきの ふく)さんが描いた作品に目を奪われます。
インドの水牛を描いた日本画で、独特な余白の使い方をしていました。絵画の新たな一面を知り、日本画に強く興味を持ったんです。
その後、美術大学に進学するために、美大予備校に入ります。デッサンの練習をしていると、先生から「日本画に向いている線だね」と伝えられました。
それまでにも、小中学校時代の油絵教室の先生、高校の美術の教員からも私のデッサンは日本画に向いていると言われたこともあり、日本画の道に進もうと思いました。
日本画家としてどのように活動を始めたのでしょうか?
大学に進学して、日本画の勉強を本格的に始めます。
日本美術院の会員になるのは、何年も続けても不合格となるような狭き門。私の場合は、ありがたいことに初めて出品した日本画が入選し、日本美術院の会員になることができました。
その後は、研究会に向けて創作活動を続け、先生たちに助言をもらいながら画家としての描画技術を高めていきました。
ブランクがあるとお聞きしましたが、どのような理由だったのでしょうか?
子どもが産まれてから子育てが中心の生活になりました。
絵を描く時間が減ってしまったことや精神的に疲れることも多くあり、絵と向き合うことが難しくなります。
絵を描こうとするのですが、描きたいものが思い浮かばない状態。中途半端に続けるよりも、止めたほうがよいだろうと感じました。
絵を描くための道具は実家の物置にしまい、その後、筆を全く持たない生活を続けました。
小学生のころから絵を描いていて、絵を描かない生活に違和感はなかったのでしょうか?
絵だけが取り柄だと思っていたので、絵がなくなったとたんに私に何が残るのだろうという不安を感じました。
子どもと遊んだり、幼稚園や小学校の行事に参加したりして、気を紛らわしていましたが、人生がこのまま終わるのだろうかと疑問を覚えるときもあります。
ときどき耳にする画家の友人の活躍に、焦りを感じるときもありました。
もう一度、絵を描こうと思い立った理由は?
下の子どもが小学校に入学するころには子育てが落ち着いていたので、仕事を見つけるために縫製講座を受講しました。
その後、ミシンの使い方を身につけたのちに、福山市内でデニムを縫製する仕事に就きます。
ある日、私が絵を描いていたことを縫製講座の主催者に話したら、「デニムに絵を描いてみては?」と提案されました。8年ぶりにデッサンをすると、絵を描きたいという気持ちが自分のなかにあるのを感じました。
仕上がった絵をその人に見せたところ「わざわざ縫製の仕事をしなくても、絵を描く才能を生かせばいい」と言葉をもらいます。その言葉に後押しされて、もう一度、日本画に挑戦しようと思い立ちました。
海の校舎と出会ったのはいつでしょうか?
本格的に日本画を再開すると、絵を描くには手狭な自宅ではなく、広々としたアトリエがほしくなります。
アトリエとして利用できる物件を探していたときに、夫がテレビ番組で見つけたのが海の校舎。すぐに、海の校舎 代表理事の南さんに連絡をして、内見させてもらいました。
入居を決めた理由のひとつは、海が見えるからです。
幼いころは、実家の近くの海で遊んでいました。その影響を受けているのかもしれませんが、海には神秘的なものを感じます。
幼少期の体験と私の感性に関わる風景が見える部屋を選びました。
今後のやりたいことはありますか?
過去に百貨店でイベントを開催する機会をもらったときに、私が犬や猫などのペットを描くという企画を行いました。
大切にしているペットの絵を見て、お客さんが喜んでくれるだけでなく、感動のあまり泣いてしまう人もいました。
目の前にいる人から絵に対する反応をもらえることは、研究会に向けた作品作りとは異なった充実感があります。
絵は人に見られることで価値を持ちますが、美術館に展示された絵や研究会に出品された絵は、先生たちからの評価しか聞くことができません。
一方で、イベントで絵を描いたときには、お客さんの表情から絵の価値を実感できました。
格式高い絵を描くだけではなく、絵を身近に感じてもらえるような活動をしたいと考えています。
木村有里さんについて、より深く掘り下げた紹介を、こちらの記事に掲載しております↓