海の校舎 公開インタビュー -石田製帽 石田勝士-
2024/02/24
海の校舎 公開インタビュー -石田製帽 石田勝士-

2024年2月18日の公開インタビューでは、石田製帽の代表 石田勝士(いしだ かつし)に登壇いただきました。

石田製帽は、岡山県笠岡市で1897年に創業した帽子メーカー。農業用麦わら帽子の製作から始まり、現在は洗練された雰囲気を持つ、質の高い帽子を手掛けています。

石田勝士さんは4代目の代表として、石田製帽の事業を日本各地へ展開。百貨店を中心とする販売先への営業によって高品質な帽子による収益化を実現し、職人が手掛けた麦わら帽子の価値を高めていきました。

公開インタビューでは、約140年の石田製帽の歴史と石田勝士さんによる事業展開を振り返る対談が進行しました。

公開インタビュー -石田製帽の歴史と事業展開について-

石田製帽が帽子に求めるもの

石田製帽の商品コンセプトを教えてください。

石田製帽の麦わら帽子が、最も大切にしていることは、実は意匠性ではなく帽子としての機能。被りやすさ、通気性、遮光性などの実用的な機能を追求しています。

帽子がファッションである以上、色や質感、形といった意匠性は大切な要素でしょう。しかし、使いやすい帽子を身に付けてもらうことで、個人が持つ可愛らしさや格好良さといった人の魅力が自然に引き立つと考えています。

石田製帽で最も高い技術を有している職人は、私の弟。麦わら帽子の製作のなかでも特に難しいとされる3mm幅の素材から縫製できます。

芸術品とも感じられる帽子を手掛ける技術があるからこそ、質の高い帽子からカジュアルな帽子まで、幅広く手掛けることができます。

石田製帽の歴史

1897年に創業した石田製帽。どのように事業が始まったのでしょうか?

石田製帽の事業の起源は、明治維新後の文明開花にあります。

明治維新後の開国によって、人々の生活のなかに西洋の文化が入ってきました。都市部では麦わら帽子を身につけた人もいて、その光景をみた岡山の商人が、麦わら帽子の素材 麦稈真田を作ろうと岡山に持ち帰りました。

岡山は晴れが多く、気候が安定した土地柄であるため、麦秋の時期(5月下旬から6月上旬)には、麦稈真田の材料となる小麦が収穫できます。

農作業の閑散期に、農家の手で小麦から麦稈真田を編み、それを輸出商社へ販売しました。その後、農業用の麦わら帽子を作り始めたことが、石田製帽の起源となりました。

石田製帽がファッション用の帽子を製作したのは、いつごろでしょうか?

意匠性の高いファッション用の帽子が日本で流行し始めたのは、1960年代。日本が高度経済成長期の真っ只中にあるときでした。

日本人の多くが余暇に時間を使えるようになったこともあり、海水浴を楽しむ人たちが麦わら帽子を身に付けるようになります。

その後、農業用麦わら帽子を手掛けていた石田製帽が、ファッション用の麦わら帽子の製作に着手したのは、1980年代にあった冷夏の年。それまでの主力商品であった農業用の麦わら帽子が、全く売れませんでした。

そこで、石田製帽は、ファッション用の麦わら帽子の製作へと切り替えます。

量産してきた農業用麦わら帽子を、金型によって形状を整える設備を導入し、生産性と意匠性を備えた帽子の製作を始めます。

冷夏という危機を迎えたことで、石田製帽はファッション用の帽子製作へと方針転換したのです。

石田製帽の事業展開

石田さんが石田製帽の事業に関わり始めたのはいつだったのでしょうか?

高校卒業後、家業の石田製帽で働くまえに、一度、企業へ就職。日本を代表する大手電機メーカーに9年間、勤めました。

会社を辞めるきっかけとなったのは、弟の神技のような縫製作業です。

休暇で実家に戻っていたときに、弟が麦わら帽子を縫製する様子を眺めていました。

話を聞くと、帽子1つが100円。1日に50個を作るのが限界なので、売り上げがたったの5,000円です。当時は職人の技術が評価されておらず、安く買い叩かれていました。

石田製帽の事業を継続するためには、新たな販路が必要だと感じたんです。

一方で、麦わら帽子を縫製する弟の技術は、神技と思えるほどでした。

そこで、石田製帽に戻り、芸術品のような弟の麦わら帽子を武器に営業を始めたんです。

その後、どのように営業したのでしょうか?

石田製帽に戻って、最初に取った行動は飛び込み営業でした。帽子を扱う商社へ電話しましたが、もちろん断られます。

しかし、弟が手がけた帽子を見てもらわなければ始まらないと感じたので、商社の買付担当者へ帽子を送りました。

見た目も美しく、滑らかな手触りの麦わら帽子を受け取った担当者は、安く買い叩かれた価格の数十倍を提示。石田製帽の商品を扱うことを認めてくれたのです。

私が鉄砲玉となって飛び込み営業をしたこと、そして、弟が天才的な帽子職人だったことで、石田製帽は商品販売の活路を見出せました。

百貨店への販路はどのように拡大したのでしょうか?

石田製帽の販路がさらに拡大する契機となったのは、千葉県船橋市にある百貨店での催事です。岡山県産業貿易振興協会からの依頼で、首都圏で開催される産地直送の物産展に出店しました。

私は催事の意味合いが理解しきれずに、最初は出店には乗り気ではありませんでした。

しかし、石田製帽の麦わら帽子は飛ぶように売れて、1週間の催事を終えたときの売上は、想像をはるかに超える200万円。

岡山県よりも圧倒的に人口規模の大きい首都圏では、ビジネスが成り立つことを思い知りました。

その後、東京都日本橋の百貨店での催事なども経験し、首都圏での販売を中心に、石田製帽のビジネスは全国に展開していきました。

石田製帽が令和まで受け継がれた理由

石田さんが事業を展開するうえで大切にしていることはありますか?

これまで数々の苦難に直面してきましたが、その度に生き残るためにどうするべきかを考え、行動を選択してきました。

先が見通せないときに選択のためのヒントをくれたのは、いつも人でした。

課題に直面したときは、必ず誰かが力を貸してくれます。

たくさんの人に導かれて生き残れたことに感謝しています。

来場者からの質問

石田製帽が世界2位の麦わら帽子の縫製技術を有しているとテレビ番組で見たのですが本当でしょうか?

南フランスにあるコサードという街で開催されたまちおこしイベントで、表彰されました。

審査員は、有名ブランドのデザイナーたち。欧米を中心に数十カ国から職人が参加していました。

細い素材を選んで麦わら帽子を縫製したところ、2位として表彰されました。

そのことがきっかけで、世界2位の麦わら帽子職人としてテレビ番組で取り上げられたんです。

審査員の評価だけでなく、地域のイベントもかねていたために住民たちによる投票も順位に影響しました。

実は、審査員だけの評価だった場合、私たちが1位。プロの目から見たら、私たちが世界1位だったことは今でも誇らしく感じています。

麦わら帽子の縫製作業の実演

公開インタビュー後に、石田勝士さんによる縫製作業の実演が行われました。

ミシンに向かい合う石田さんを囲みながら、素材から麦わら帽子が完成するまでの工程を眺めます。

素早く縫い合わされる帯状の麦稈真田は、瞬く間に帽子の形へと変化。

縫い合わせ方により形を整えたり、素材の硬さによって針を変えたりするなど、職人のみが体得している技術を言葉にしながら石田さんは縫製を続けます。

来場者の視線は針の先に集中し、熟練された職人の技術に見惚れていました。

 

石田製帽や石田勝士さんについて、より深く掘り下げた紹介を、こちらの記事に掲載しております↓

 

文:つづる

写真:aukio