入居者紹介 / 一級建築士 -布留川マキ-
2025/02/10
入居者紹介 / 一級建築士 -布留川マキ-

設計事務所「ぐるり舎」の代表、布留川マキ(ふるかわ まき)さんは、木造住宅設計を専門とする一級建築士です。

幼いころから本や映画を通じて様々な人たちの生き方に触れてきた布留川さんは、人の心の動きや思想に深い興味を抱いてきました。

高校生のときには、人の本質を探求する過程で「住居学」を進路として選択し、大学院修了後は木造住宅専門の設計事務所で経験を積みました。

現在は、シェアアトリエ海の校舎に「ぐるり舎」を構え、東京と岡山を拠点に活動しています。

布留川さんの歩みを辿りながら、建築士としての矜持を紐解いていきます。

ぐるり舎の仕事

「ぐるり舎」は、木造の住宅を専門とする設計事務所です。一級建築士の布留川マキさんが代表を務めています。

新築だけでなく、古民家の改修、時には土地探しからも、施主の家づくりに帆走。また、店舗や保育園などの住宅以外の建物にも、住居学の知見を活かして取り組んでいます。

布留川さんが大切にしていることは、生活者の視点。住む人の考え方や人生観を丁寧に観察して、心地よい暮らし方ができる住居を設計しています。

生活者へ暮らしの手応えを与えるために、名前、寸法、素材を具体的にすることが建築士の仕事だと布留川さんは話しています。

人の本質について考え続けた高校時代

「人間とは何か?」という問いから進路を選んだ

布留川さんは、幼いころから本や映画を通じて物語に触れてきました。

たくさんの物語のなかで人間模様を見てきた布留川さんは、人の生き方や思想について強い興味を持つようになります。

特に、高校生のときには、「人の心の動き」や「人間とは何か」について向き合っていました。

好きだった授業は倫理。日常生活ではあまり考えることのない人間の本質について思案する日々を過ごしていました。

進路を考えるときに、人の心に関わる職業として、人文学や考古学などが思い浮かびましたが職業としてまでは落とし込めませんでした。

自分の興味と世の中の仕事を照らし合わすなかで、布留川さんが行き着いたものは住居。人の生活の中心となる居住空間は人の生き方が表れ、逆に住居を設計するためには人の生き方を深く考える必要があります。

住居は人の心の動きに密接に関わるものだと考え、住居を設計する仕事を選択しました。

永遠に勉強してもいいことに安心した

布留川さんが通っていた高校では、一般的な学校のイメージとは異なる授業が展開されていました。

教員たちの裁量で自由に授業を行うことができ、その学問の本質を生徒と議論するために教員たち自身が日々学び合っていました。

県内でも有数の進学校でありながら、校則はありません。また、進路指導の機会も少なく、服装は自由。あらゆることを自分で決めてよい校風でした。

一般的に学校教育の場では、与えられた枠組みの中で考えることを求められます。そのため、学びには終わりがあるという意識を持ってしまいがちです。

しかし、布留川さんは年配の教員らが勉強に励む姿を見て、「大人になっても勉強してもいい」ということを知りました。

未知なるものへの探究に魅力を感じていた布留川さんにとって、学びに終わりがないと知ることは、大きな安心感となったのです。

建築に対する感性を育てた大学時代

大学時代に学んだ住居の基礎

大学に進学した布留川さんは、住居学科で建築についての見識を広げていきました。

興味深かったことは、生活者の暮らし方に着目し、それを建物に落とし込むという考え方です。

住居の設計が人の本質に迫る仕事だということを目の当たりにして、さらに興味を強めていきました。

それだけでなく、建築は都市計画や芸術といった観点からも考える必要があることも学びました。

最大の学びは、建物は個人のものではないということ。

例えば、街の景観という視点からは、個人の所有物だからといって、外観を好き勝手に装飾することは議論の的になります。

さらに、建物は長い年月にわたって使用され、住む人も時代とともに変化していきます。このように建物は、街という空間的な広がりだけでなく、時間的な流れの中でも、個人を超えた存在なのです。

建物には、個人のものでありながら公共のものでもあるという二面性があることを知り、布留川さんは建築の奥深さに魅了されていきます。

建物への愛を知った廃校活用

布留川さんが初めて廃校活用に関わったのは、大学4年生で研究室に配属されたときでした。

研究室の教授は、シェアハウスなどの人が共に暮らすかたちの専門家で、設計事務所を持ちながら建築家と学者の両方として活躍していました。

そして研究室としては、建築と人の暮らし、建築とコミュニティの関係に着目してフィールドワークを行い、それを現実の建築のデザインにフィードバックすることを目指し、研究活動をしていました。

布留川さんがその教授から特に感銘を受けたのは、生活の場を理解するために多角的な視点を重視していた姿勢です。

教授が建築の専門知識を持ち合わせていることはもちろんですが、人文学や社会学の専門家とともに現場を訪れ、空間づくりに取り組んでいました。

研究室で手掛けていたプロジェクトの一つは、新潟の廃校となった小学校の活用でした。関東の4つの大学が地域住民と共同で改修を行い、地域交流の場として宿泊施設へと生まれ変わらせる企画です。

布留川さんは、地域住民と共に作業を進めていく中で、この廃校がいかに多くの人々に愛されてきたかを実感します。

長年にわたって地域の人々に大切にされてきた廃校との関わりを通じて、建物は個人のものを超えた存在だという認識を深めていきました。

建築士としての経験

就職先を選んだ理由は言語化能力

大学院を修了した布留川さんが就職先として選んだのは、木造の個人住宅を専門とする設計事務所です。

就職先を選ぶうえで大切にしていたことは、これまでに事務所が手掛けてきた建築だけではなく、事務所の所長の言語化能力。思想を的確な言葉で表現できる人が取りまとめている環境であるかを、価値判断の基準として職場を選んだのです。

そこで、布留川さんは各事務所の書籍やブログを丹念に読み込みました。最終的に選んだのは、家づくりの前段階から深く設計に関われる事務所です。

理想に近い設計事務所を見つけた布留川さんは、直接その事務所に連絡を取り、建築士としての第一歩を踏み出しました。

建築士と子育て

布留川さんは、最初の設計事務所で建築士としてのキャリアを着実に積み重ねていきました。

数年後、子育てとの両立について考えるときが訪れます。

建築士として理想的な環境でしたが、業務量を考えると子育てとの両立は困難だと感じ始めました。

そこで布留川さんは、女性建築士が仕事と子育てを両立できる働き方を模索し、過去の女性建築士たちの経験を調査。その結果、独立という選択肢にたどり着きます。

責任が大きくなっても、自分で時間を管理できる独立のほうが、子育てに適していると判断したのです。

こうして、住宅設計の仕事と子育ての両立を目指し、建築士としての独立を決意しました。

笠岡での暮らし

笠岡との出会い

布留川さんが笠岡との関わりを持ったきっかけは、パートナーの杉本さんでした。

杉本さんが地元である笠岡を拠点にして仕事を始め、布留川さんも笠岡に移り住みます。

生まれ育った場所である千葉からは遠く離れた場所でしたが、穏やかな瀬戸内海の景色、好きな画家の美術館、美味しいコーヒー屋など、布留川さんの感性に合うものと出会いました。

流れに身を任せるように行き着いた場所は、布留川さんにとっては心地よい環境だったのです。

海の校舎へ関わった理由

大島東小学校は廃校となり学びの場としての役割を終えましたが、多くの地域の人々が校舎への深い愛着を持ち続けていました。

そのような状況で、南さん藤本さんをはじめとする海の校舎の立ち上げメンバーが、この校舎をシェアアトリエとして新たな形で活用しようと動き始めていました。

長年愛されてきたこの校舎の存在を知った布留川さんは、廃校をシェアアトリエに活用しようとするメンバーたちの想いに強く共感します。

廃校の活用には、建物の測量や図面の作成、防災設備の整備など、建築士の専門知識が不可欠でした。

そこで布留川さんは、建築士としての立場から、この木造校舎を新しい形で活かすための準備に着手したのです。

建築士としての矜持

建物は物理的な存在でありながら、その本質は意外にも捉えにくいものです。

建築の設計では、素材の寸法をミリ単位で綿密に議論します。しかし、本当に作ろうとしているのは建物そのものではなく、その空間を通じて生まれる日々の暮らしの手応えです。

布留川さんは、施主との打ち合わせの中で、その人がどのような場面で暮らしの実感を得ているのかを丁寧に探っています。

建築士には、この「暮らしの手応え」という抽象的な概念を、建物という形で具現化することが求められます。そのためには、適切な素材の選択、正確な寸法の指定、そして空間への明確な意味づけが不可欠だと布留川さんは説明します。

「私たち建築士の仕事は、目には見えにくい人々の生活を、建築を通じて具体的な形にすること」と布留川さんは語りました。